生野について

生野とは

兵庫県の山間にある小さな鉱山町。現在の人口は3000人あまり、典型的な過疎の町です。しかし、この町には、誇るべき歴史が詰まっているのです。

「生野銀山」は戦国時代より織田・豊臣による支配、その後は江戸幕府が直轄地としました。明治の世になると新政府は日本を近代国家にするため、この地にフランス人技師を招き、日本の未来を託します。

彼らの指導の下、火薬での採掘や水力による機械動力の利用など世界の最先端技術を導入、さらに輸送経路として生野〜姫路に日本初の産業専用道路である「生野鉱山寮馬車道」を建設しました。採掘から製錬、そして輸送に至るシステム。まさに「日本における近代鉱山は、生野から始まった」のです。

閉山後も生野は日本一の錫鉱山「明延(あけのべ)」、東洋一の選鉱場「神子畑(みこばた)」の製錬拠点となり、「採掘しない鉱山都市」として独自の発展を遂げます。

現在も製錬事業は継続しており、現役の「鉱山町」としての営みは、文化とそこに住むことへの誇りとともに受け継がれているのです。

生野の鉱山遺産

旧生野警察署

地元の大工、杉浦嘉作と坂井利平が町内にあったフランス人技師の洋館を模して明治19年(1886年)に建設しました。

西洋風の切妻屋根「ペディメント」、帯状の突出部分「軒蛇腹」、車寄せや古代ギリシア風の木柱など、小さな建物ですが洋風技法が詰め込まれています。

正面の軒瓦下には警察の紋章と「イ」字9個と「ノ」字1個を組み合わせ「イクノ」を示す旧町章が当時を忍ばせます。現在は一区公民館として利用されています。

旧吉川邸

江戸時代に幕府の直轄領として形成され栄えた銀鉱山の町、その独特の生活文化を伝える古民家です。

代官所から鉱山の採掘権を与えられた山師の吉川家が代々営んできた郷宿(公用で代官所に出頭する人々のための宿、「井筒屋」)で、江戸からの巡見使など要人が泊まったとの記録も残っています。

平成15年(2003年)には改修され現在は『生野まちづくり工房井筒屋』として活用され、施設は国の登録有形文化財になっています。

旧浅田邸

生野の名士、浅田貞次郎の三男養蔵の邸宅で昭和7年に建設されました。

貞次郎は銀山廻り11町村の戸長を務めた後に兵庫県議会議員、衆議院議員などを歴任。

「産業の発展は利便に始まる。」との観点から、明治28年(1895年) に姫路飾磨港から生野まで播但鉄道(現在のJR播但線)の敷設を実現、同年に生野銀行を設立し初代頭取となりました。

現在、邸宅は「口銀谷銀山町ミュージアムセンター」として活用されています。

トロッコ道

大正9年(1920年)、鉱石や物資を輸送するため鉱山本部〜支庫(旧生野駅)間を小さなアメリカ製電気機関車がトロッコを牽引していました。

代官所の石垣の石が基礎に転用されている個所や、連続の石造アーチは土木遺産として高い評価を受けています。

昭和30年にトラック輸送に代わりトロッコは廃止されましたが、軌道の一部が姫宮神社前に現存し当時の風景を見られます。遊歩道として整備され今にもトロッコがやって来そうです。

旧甲社宅

甲乙丙丁の"甲"を意味し、甲乙社宅の他にも鉱山に従事する職員のため数多くの社宅が建設されました。

「旧生野鉱山職員宿舎」は四棟の甲7、8、9、19号棟が保存されています。7〜9号の3棟は官営鉱山であった明治9年の官舎として、19号棟は明治29年の三菱時代の社宅として建てられたものです。

甲7号は鉱山技師の家庭に生れ、黒澤映画『生きる』『七人の侍』主演、いぶし銀の名優志村喬さんの記念館となっています。

旧生野鉱山本部

太盛(たせい)とも呼ばれた当地区では明治元年(1868年)日本初の政府官営鉱山になってから、お雇いフランス人技師により日本近代鉱業のモデルとなる工場が建設されました。

現在、旧本部は「三菱マテリアル生野事業所」として使用され、旧混汞所(こんこうしょ・鉱石と水銀を混ぜて加熱し銀を取り出す施設)が総合事務所として使用れています。他にも当時の建物が多数あり『銀谷祭り』(毎年9月)の際には特別公開されます。

旧日下旅館

JR生野駅前にある旧日下旅館は明治43年に出来ました。大正10年には現在の木造三階建に増築。完成当時、姫路から城崎まで三階建ての建物は2軒しかなく町の人を招いて祝宴をあげたそうです。

暖房や鍋料理などすべてが炭火を使うため外壁に鶴や雲などの形の空気孔「下地窓」が見えます。基礎にはカラミ石、地下室は食品の貯蔵に使用していました。

純和風旅館らしい造形を残すことから国の「登録文化財」に指定されています。

カラミ石

銅などを製錬する時に出た鉱滓(こうさい・スラグ)を固めたもので、生野では「カラミ石」と呼ばれています。

家の土台や塀、水路、さらには公園のベンチなどで再利用されています。黒く無骨な存在ですがよく見ると虹色に光り、ガラス質の透明感があり独特の存在感を持っています。石材として各辺30cm程のブロック状に成形されたものは約100kgにも及ぶものもあります。他鉱山では「カラミ煉瓦」と呼ばれる場合もあります。

生野瓦・カラミ瓦

生野の厳しい冬の気候にも耐えられるよう通常の瓦より硬く焼き固められた瓦です。カラミ石と同様に生野特有の景観を造り出しています。

使われている土に天然の鉄分が多く含まれている為に赤褐色の独特の風合いは「赤瓦」とも呼ばれ、レトロな町をいっそう際立てています。そのルーツはかなり古く甲社宅や生野駅、井筒屋では復元された生野瓦が使われています。

またカラミそのもので出来たカラミ瓦も使われていて一部に残っています。